時を越えて共鳴する芸術
ちりめん本は、単なる異国の土産物ではありませんでした。
それは、当時の世界最高峰の芸術家や知識人たちが、その美しさと精神性に深く共鳴し、 熱狂した「知の結晶」でもあったのです。
〜チェンバレンの古事記訳とジェイムス夫人の語り直しが拓いた「めでたし」の系譜〜
『因幡の白兎』は、712年に成立した日本最古の古典『古事記』から、大国主神の若き日のエピソードを抜粋した再話物語です。明治時代、一般庶民や子供たちにはまだ馴染みの薄かったこの神話は、二人の西洋人の手によって新しい命を吹き込まれました。
まず、日本研究者のチェンバレンが、本居宣長の『古事記伝』を土台に『古事記』を初めて英訳しました。続いて、その英訳を参照したジェイムス夫人が、日本の神話を西洋的な視点からドラマチックに再構成しました。彼女は本来の「神」という設定を、西洋で馴染み深い「王子」へと置き換え、心理描写や生き生きとしたセリフを肉付けすることで、不遇な主人公が幸福を掴む「おとぎ話」へと昇華させたのです。
この物語は、明治期に海外向け土産物としても人気を博した、絹のような質感を持つ「ちりめん本」として刊行されました。
ジェイムス夫人は、原典にある残酷な後日談などをあえて省き、最後を「王となって生涯幸せに暮らした」というハッピーエンドで締めくくりました。
チェンバレンは、ラフカディオ・ハーン(後の小泉八雲)が来日する前に『古事記』を読むよう勧めており、これがハーンが日本に興味を持つ大きなきっかけになったと言われています。また、チェンバレンが『古事記』の英訳において、本来はサメを指す「わに」を「海のワニ(sea crocodiles)」と誤って訳し たことで、ちりめん本の挿絵には爬虫類のワニが描かれ、その視覚的イメージが後の日本の教科書や児童書や教科書にまで引き継がれていくこととなったのです。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)
画像提供:小泉八雲記念館
「新しい”日本お伽噺”シリーズを作ることにどう思いますか?
私は不思議な挿絵と見事に合うかなりの数の物語を知っていま
す」(1894年チェンバレン宛書簡より)
ハーンは自ら、古事記の英訳などで知られるチェンバレンを通して、ちりめん本発行人の長谷川武次郎にコンタクトし、最終的に5冊の昔噺をちりめん本のシリーズに加えました。
ハーンは『怪談』など、日本関連の優れた著作を数多く残しましたが、いずれも大人向けで初版はまず英語圏で出版されました。ところが武次郎がつくったハーンのちりめん本は日本で出版され、子供向けに作られて家族で楽しめるものでした。ハーンは子供の読者を意識して、超自然的な場面を含んでも子供たちの恐怖心をあおらない話を選ぶなど配慮したと考えられています。*
「貴社の絵師は素晴らしいと言わざるをえません。挿絵は優雅でいくら 褒めても足りないくらいです」(長谷川宛書簡より)
絵師や木版技術の力量を高く評価していた一方で、遊戯中の事故により目を悪くしていたハーンは、ちりめん本よりも視認性が高い平紙本を好み、「ちりめん本は、子供の目のためによくない、フォントを変えるべき」(1898年長谷川宛書簡より)などと訴えています。